<大石良雄お手植のハゼ>

尾崎の赤穂八幡宮の社殿の東端、如来寺、普門寺への参道の登り口に、一本のハゼの古木があります。
幹は半分空になって苔がむしています。
大石良雄元服の折、当時の尾崎川(現千種川)の堤に、広島・浅野本家から何本か取り寄せて植えたもの。
明治25年の大水害で堤を作り直す折に、その一本を記念として、八幡神社に移植されたものと記されている。

<赤穂と熊本>

赤穂義士は討ち入りの後、各大名にお預けになって、幕府の裁定を待ちます。
大石良雄らは熊本藩主細川家下屋敷お預けとなりました。
細川家は彼等を格別に厚遇した事、他藩もそれを見習って、罪人の預かりにしては丁重な待遇であった事、細川家での付け人の堀内伝右衛門(山鹿出身)は藩主の命もあってか特に面倒をよく見てくれたことなど、よく知られている。
(この御縁で、山鹿市と赤穂市は姉妹提携となり、各界の交流が盛んである)
その折に、熊本藩にローソクの原料になるハゼを植える事をすすめたそうだ。
熊本藩はその進言を取り入れてハゼの栽培に力を入れて、そのお蔭で藩の財政が非常に豊かになった。
熊本は今も全国の30%のハゼの生産を誇っています。

<ハゼ>

ハゼは昔、ローソクの蝋を作る原料として大切に育てられていたもので、菜種油と共に夜の灯火として必需品でした。
今はウルシと共に、秋には紅葉で美しくなるが触れるとかぶれる木と知られる位です。



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