日 本 三 大 旧 上 水 道 の1つに 赤穂 の上水道があります! /

旧赤穂上水道は敷設されて今年(2016年)で400年目となります!

このページでは、旧赤穂上水道についてご紹介していきます!






《 3シリーズにわけて旧赤穂上水道について更新しました! 》

旧赤穂上水道について〜その1〜

旧赤穂上水道について〜その2〜

旧赤穂上水道について〜その3〜





切山隧道・゜

高雄切山取水隧道。400年前に人が手掘りで掘った導水トンネルです。清流千種川の水がここから赤穂藩の城下町に運ばれました。各戸給水はロンドンよりも古いということです。



木津取水口・゜



木津取水井堰・゜

木津の取水口は、戦国時代の永禄年間(1558〜1570年)には農業用水用としてすでに存在していたようですが、元禄15(1702)年までには上水道用の取水口として整備され、水量の確保が図られたようです。



船渡取水口・゜



導水路と農業用水の並行・゜



導水路と農業用水の交差・゜

導水路の水は上水と呼び、それに対して農業用水は悪水といって区別されていました。木津取水口から浜市にかけて、取水口から導水された水路(導水路跡)が、小さな石組み水路(悪水路跡)と交差する部分をいくつか見ることができます。現在では、この周辺の水路ルートはかなりの改変を受けていますが、導水路と悪水路とが明確に区分されていたことの名残があります。



山崎山東水余し樋・゜

戸島枡か200mほどさかのぼった地点にありましたが、現在では近代的な施設に改修されており、旧状を偲ぶことはできません。導水路を流れる水の量を調節し、余った水を並んで走る悪水路に放流して水量を調節していました。この水路は現加里屋川の水源の一部となり、下流の水田を潤しています。



戸嶋枡・゜

導水路から塩屋、戸島新田への農業用水(戸島用水)の分岐点であるとともに、導水路を南下してきた水を浄化する役割をもっていました。ここでは樋堰によって流れる土砂を沈殿させ、その上澄みの水を城下北端に設けられた百々呂屋裏大枡へ送っていました。ここから分岐して塩屋、戸島新田の田畑を潤した戸島用水は浅野長直が築いたものであり、改修されてはいますが、現在もなお使用されつづけています。現在では、付近に「水恩之碑」と「旧赤穂上水道案内版」が建てられています。



百々呂屋裏大桝・゜

旧赤穂上水道の城下の入口部分にあった最終大桝 です!竹簀(たけす)が2段に張られ、ちりやごみを防いで浄水していました。ここまでが開渠(ふたをしていない水路)で、ここからが暗渠(地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路)でした。



息継ぎ井戸・゜

江戸城「松の廊下刃傷事件」の急使が赤穂城に駆け込む前に一息継いだことから「息継ぎ井戸」と呼ばれています。この井戸も実際は 赤穂旧上水道の汲み出し枡 です。



配水路 間枡・゜

現在実際に見ることができる貴重な遺構です。



赤穂城本丸庭園 大池泉・゜

赤穂城本丸の大池泉も旧赤穂上水道から水をひいていました。